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ファティマの手(目)と呼ばれるものがあります。
手の中に目がある形です。

こんな説明がありました→ファティマの手

邪の眼除けとか護符とかいわれているようですが、それはおいておいて,今日は私が感じることを書きます。

私は以前,美大で立体造形を学んでいましたが、先生に「お前は頭より手のほうがよく知っているから、頭を働かせずに手を動かせ」と言われたことがあります。
私の場合は理屈や理論で考えるより手がよく知っていることが多々あるようです。

その頃は、考えて作品を作ると、予期できる範囲内のものができるので面白みに欠けましたが、頭で考えずになにができるかわからないけど手を動かして作ると、理屈でないおもしろい作品ができました。

今もその状態は続いているようで、ネームリーディングや他のリーディングを書くときなど、頭の中で言葉が文字化する前に指が動いてキーボードをたたいています。指先が先に勝手に動き、思考のほうがあとを追っかけているかたちです。
これは文章を書く人にはよくあることだと思いますが。

そんな私ですから、ファティマの手を見ると、手のひらに目がついているのは、手がよく見ている&知っていることを表しているのではないか?と思ってしまいます。

また、「手当」ということばが昔からあるように、手のひらからは不思議なエネルギーが出ます。レイキや他の手当法もたくさんありますね。

手に目がついているイメージは、そのような手のセンサー的な役割を表しているのではないかと思います。
目が見えないと手探りすることを考えても、手は目の代わりになりうるのではないでしょうか?
それは触覚や氣などから感じるもので理屈では説明できるものではないでしょう。

また私は美術を教えてもいますので、いかに私たちがそのままを見ていないかによく遭遇します。
デッサンや模刻をしてもらうと、見た物そのままでなく、記憶から作っている場合がよくあります。

ポールに立てたアメリカの国旗を描かせたら、四角い星条旗を書いた人がたくさんいたそうです。でも目の前にあるのは本物の国旗で、布が垂れ下がって四角い形ではありませんでした。
つまりたくさんの人が目の前にしぼんだ国旗がありながらも、記憶の中の星条旗を描いてしまったわけです。
でも描いている人たちは言われるまでそれに気づきません。

ちゃんと見ているようで、実は目で見たものは脳で記憶に反応して変換させられ、私たちはそのままでなく、それぞれのフィルターを通して違うものを見ているしまうわけです。

常にではないでしょうが、基本的に、目で見るときは左脳で、手で観るときは右脳を使っているのだと思います。

なので、手のひらに眼がある形は、その不思議な役割を表しているように思います。

実際に手相で、手のひらに目の形ができる人がいます。
私も今ちょっとできつつあります。

上記に書いたことをふまえて考えると、感覚で観る眼が養われているということではないでしょうか?
その目の形が出ている位置の丘の意味を読み取る(感じとる、心眼で観る)能力がたけているのではないか?と思います。

私のしるしは、「手相の丘」で見ると、「精神の発現地 奮闘,努力」と書かれているところに縦に出ています。そこに目の形がでかけているということは、「精神の発現を観る」ことに精を出すのか、たけてくるのか、、、と勝手に解釈したいと思います。

「火星平原四角形 道徳,正義」というところに目の形が出る人がいますが、そういう人は、道徳や正義を見抜く力に長けているということでしょうか? 

手をグーにして中指のあたるあたりにある場合は「老宮」といわれるツボ上かもしれませんので、そちらのほうで読み解く必要もあるかもしれません。心包経、循環器系で、疲労回復や緊張をほぐすのによいといわれるツボです。氣の出入り口でもあるらしいです。
そこに目の形があるのなら、氣が読める人なのかもしれませんね。エネルギーワークによいかもしれません。

とまあ、書いてみましたが、これは私が勝手に思っていることなので正しいかどうかはわかりませんが、こういうことを関連づけて想像するのは楽しいですね。


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